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2017.12.26業界情報

「堀井雄二」調査団: アドベンチャーゲームは如何に日本のストーリーゲームを発展させていったか? (前編)

「コロンブスの卵」という格言がある。たとえ簡単そうに思えることであっても、それを最初に発想してやり遂げることは想像以上に難しいという意味の言葉だ。この格言のとおり、こうした偉大な第一歩は往々にして、後に第三者から当たり前のことと捉えられたり、起こるべくして起こったことと評される。しかし、慣習や習慣というのは人を縛り付けやすく、そこから逸脱したことを新たな常識として定着させることほど難しいものはない。その第一歩が踏み出される前と後では、世界はがらりと様変わりしているはずだ。

2017年7月に淡路島・洲本で「ドラゴンクエストミュージアムセレクションズ」と共に開催された「堀井雄二展」。そこには『ドラゴンクエスト』シリーズの30年の軌跡を振り返るだけではなく、堀井雄二氏が『ドラゴンクエスト』以前に手がけたゲームも展示されていた。堀井氏は『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親として知られているが、それ以前には堀井ミステリー三部作と呼ばれる革新的なアドベンチャーゲームを世に送り出して、80年代中頃からすでにスターゲームクリエイターとして認知されていた人物でもある。

このインタビューでは『ドラゴンクエスト』シリーズについてももちろん触れるが、あらためて「堀井雄二展」と同じく『ドラゴンクエスト』以前についてもスポットを当てている。来年、2018年は堀井氏がゲームクリエイターとしてデビューして35周年である。この機会に堀井氏が発想した「コロンブスの卵」を、あらためて捉え直すいいタイミングではないだろうか。堀井氏は何が主流だったときに、何から逸脱したのか。

それを解き明かすためには80年代について振り返る堀井氏の証言を、発展的な縦軸だけではなく、当時の状況はどういうものだったかという横軸でも捉える必要がある。それゆえ本記事では、様々な人たちの協力のもと当時の文献を参照して証言を補足する注釈をつけている。この前編では、『ラブマッチテニス』から『ポートピア連続殺人事件』までの堀井氏の足跡を調査していく。

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